令和7年度奈良女子大学入学宣誓式 学長式辞

文部科学省から公表された2024年度の大学進学率は、男性が61.9%、女性が56.2%と、現在の日本では、半数以上の人が大学で学んでから社会に出て行く世の中となっています。したがいまして、大学を卒業したからといって、人生において何かそれが特別なパスポートのような価値を有しているかというと、そんなことは無いことがお分かりいただけるかと思います。厳しい言い方をするならば、大学を卒業したからと言って、それだけで皆さんのキャリアが輝かしいものになる訳ではない。キャリアパスという点から見た場合の皆さんの強みになるものは、当たり前と言えば当たり前なのですが、皆さんが大学卒業時に、どのような知識や知恵、技術?能力を身に着けたかによるのだ、ということを頭に入れ、この入学の節目の機会に、これからの4年間をどのように過ごすのかを改めて考えてみていただきたいと思います。
ところで、今よりだいぶ以前の1984年時点の男性の大学進学率は34.7%、女性は12.7%と男性が女性を大きく上回っていました。一方、先に述べました通り、近年ではその差は大きく縮まり、女性でも既に2人に1人以上の方が大学に進学する時代となりました。しかし、残念ながら現在の日本社会では、男性と比べ、女性が暮らし易い社会環境が構築されているとは言い難い点が色々と存在しています。
世界経済フォーラムが発表している、男女格差の現状を評価した「Global Gender Gap Report」2024年版で、日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中118位でした。公表開始以来、最低の順位であった昨2023年の125位からは、小幅には持ち直したものの、改めて日本社会において男女格差が埋まっていないことが示されています。世界経済フォーラムは、日本社会に関して「現在のペースでは、完全なジェンダー公正を達成するまでにあと134年かかる。これは、5世代分に相当する」とも指摘しています。
私は今65歳ですが、1995年の阪神淡路大震災、2011年東日本大震災と原発事故、2020年からのコロナウイルス禍など、自分が想像もできなかったような世界の劇的な変化を目の当たりにしてきました。それらは良いことばかりではありませんでしたが、1989年のベルリンの壁の崩壊と東西冷戦の終結など、絶望的と思えたような事象でも、状況が劇的に改善される現場を目にしてきました。つまり、長く生きていれば自分が想像もできなかったような世界を目にしたり、体験?経験できる可能性があったりする、ということです。したがって私は、現在の日本社会における男女格差にしても、それが劇的に改善する可能性だってあり得ない話ではない、という希望を持っております。おそらく皆さんは、自分で強く意識するかしないかに拘わらず、そのような男女格差の縮小改善に大きな役割を担う人材として、社会に羽ばたいていかれるようになるのだと期待しております。
私の研究分野は地理学ですが、大学院生時代に行ったはじめての海外調査は、ヒマラヤ山脈の東部に位置するブータンという小さな国でした。今でこそ日本でも知られるようになってきましたが、私が最初に調査に入った1989年当時は、入国が厳しく制限されていました。この年の外国人の入国者数は、確か9000人ほどで、私はそのうちの1人だった訳です。インターネットなどが発達した現在では、日本に居ながらにして、ブータン国内の情報も相当入手できるようになってきましたが、こういう時代になってもなお、入手の難しい情報があるように思います。たとえば、ブータン人にとってのソールフードのようなものである、エマダツイという野菜のチーズ煮には、すごい量の唐辛子が入っているらしく、私ではとても食べられませんでした。ブータン政府の高官を招いた首都での晩餐会の時のことです。料理を担当した我々調査隊の専属コックさんは、政府高官の前で、緊張のあまり直立不動で立っていましたが、ビュッフェ形式で提供されたブータン料理のいくつかから私が料理を取り分けようとすると、目配せして、「辛くてお前では食べられない」、という合図を送ってくれていました。私の研究に関わる本丸の調査事項ではありませんでしたが、「料理の辛さ」などというちょっとした事柄でも、真にその実態を知るためには、インターネットだけでは不十分なのではないだろうか、と思う次第です。
また、最初のブータンの調査で、調査機材の通関のために1週間ほど滞在したインドのコルカタでの日々も忘れ難い思い出です。いろいろなことがありましたが、たとえば、制服を着た小学生くらいの裕福そうな家庭の子供たちが、正門から下校し、迎えの車に乗り込むそのすぐそばで、裸の物乞いの子供たちがお金をせがんでいるような光景も目にしました。また、白亜の大豪邸近くの石畳の歩道で、歩道の敷石をめくって穴を掘り、体を半分土に埋めた状態で、身体障碍者が物乞いをする光景も目にしました。日本では考えられないような圧倒される貧富の差や不条理ともいえる光景を目の当たりにして、自分の感情が揺さぶられる感じがしました。私の授業を受けていた大学生や、附属中等教育学校の生徒達には、もし万が一、人生に悩み、世を儚み、縁起でもないかも知れませんが死を考えたりすることがあったら、騙されたと思ってカルカッタ(現地の発音ではなく、こう呼ばれていた時代もありました)を見てから死んでも遅くない、という言葉を贈っていました。人は、自分が直接、見たり聞いたり体験したりすることで、感情を揺さぶられ、自分が置かれた状況を客観視できる場合もあるのではないか。自分の置かれている状況が、世界の中では如何に恵まれているのか、を実感として改めて認識できる場合もある。そのような意味で、ぜひ、SNSやインターネット等の2次的な情報のみならず、リアルな実体験も重視した大学生活を送っていただけたらと願っております。
今日から奈良女子大学の一員になられた皆さん、そして保護者の方々からは、入学金や授業料を収めていただいておりますが、一方で、税金の補助を受けて、その授業料を上回る勉学研究環境を提供させていただいております。この点からみますと、新入生の皆さんは、自分のために勉学?研究するだけではなく、その勉学?研究の成果を少しでも社会に還元する責務をも負っているということになります。新入生の皆さんには、ぜひ、このような自覚を持ってこの4年間を過ごし、自分なりの方法で世の中に貢献できる社会人に成長していただけたらと願っております。みなさんが有意義な4年間を過ごされることを祈念して、歓迎の言葉とさせていただきます。
令和7年4月4日
奈良女子大学長 高田将志