純文学を近代日本の歴史に意義づけるもので、北村透谷や島崎藤村といった明治期の文豪から、柳田國男・折口信夫のような民俗学者、小林秀雄・保田與重郎ら戦中の批評家までをとりあつかい、そのなかで、日本の歴史における文学的なものの展開を紐解いていきます。
「政治と文学」という課題は近代日本に特有のものですが、今日、その課題が現実的な意義を帯びることは少なくなっています。しかし、それは課題の喪失を意味するわけではありません。二重の意味で、歴史になったと考えられます。二重というのは、この課題が過去のもの、すなわち歴史学の対象になったということでもあり、また、歴史自体が、きわめて政治的・文学的な営みでもある、ということでもあります。ですから、必然的にこの課題は「歴史と文学」あるいは「政治と歴史」という課題に変奏することができるでしょう。しかし、歴史・文学・政治という異なる学問領域をまたぐものであるために、一般にこの課題の重要性が意識されていながら、研究がなかなか深まらない現状があります。本研究の意義は、この課題に真正面から取り組むことで、近代日本の精神性の一端を解き明かすことにあります。